映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観た

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はじめに

なかなか観れなかった『プロジェクト・ヘイルメアリー』をようやくIMAXで観ることができました。 Andy Weirの原作は数年前に楽しく読んで気に入っていた作品なので、Phil Lord & Christopher Millerが監督、Ryan Goslingが主演と聞いた時点から期待していました。

結論から書くと、映画としては普通に面白かったです。Goslingは相変わらず魅力的ですし、Rockyの造形は想像以上に見事で、後半の二人のやり取りには素直に心を動かされました。挿入歌の選曲もセンスのよいものでした。

そのうえで、原作を読んだ人間として正直な感触を書き留めておくと、終始ひとつの違和感がつきまとっていたのも事実でした。作品全体が、原作と比べるとやや「一本調子」に感じられたのです。

この違和感は何に由来するのか、観終わってから少し考えてみました。結論からいうと、これは脚色の良し悪しの話ではなく、原作の物語構造を映像メディアへ移し替える過程で不可避的に生じた代償なのだと思います。

原作の二層構造

思い返してみると、原作小説は前半と後半で、読み味がはっきりと違う作品でした。

前半は、記憶喪失から始まる一人称のハードSFサスペンスとして進行します。自分が誰なのか、なぜこの船にいるのかを段階的に思い出していく過程と並行して、Astrophageという科学的謎を理詰めで解いていく構造です。フラッシュバックで描かれる地球パートでは、Eva Strattの強権的なプロジェクト運営、乗組員選抜の倫理的グレーさ、Graceが宇宙へ送られた経緯など、人類存亡の圧力が重くのしかかります。Andyの過去作品と同じ延長線上にある問題解決型のハードSFです。

ところが中盤でRockyが登場した瞬間から、作品の性格が一変します。言語障壁を越えた異星人との友情物語、バディものへと軸足が移り、科学的問題解決は「二人で協力して解く」共同作業の楽しさが前面に出てきます。Rockyの独特な話法、文化的すれ違いのユーモア、相手の生存環境を再現する工夫といった要素が、読み味を一気に軽やかで温かいものに変えていきます。

この前半のハード・サスペンスと後半のハートフルなバディものという二層構造こそが、原作の独特の厚みでした。そして重要なのは、この2つの層を接着していたのが、Graceの一人称による内面独白だったという点です。皮肉っぽいモノローグ、自分へのツッコミ、科学への興奮といった「声」が全編を貫いているから、トーンが大きく変わっても同じ物語として読み通せたのです。

映画版が一本調子に感じる理由

映画版を観ていて「一本調子」と感じたのは、まさにこの二層構造が平準化されてしまったからだと思います。

いくつかの要因が重なっているように見えます。

1つ目は、一人称の内面独白が映像から消えたことです。原作では、同じ場面でもGraceの頭の中で恐怖、皮肉、科学的興奮、自己嫌悪が目まぐるしく切り替わっていました。この内面の振れ幅そのものが、読者に「起伏」として伝わっていたのです。映像化ではこれが全部落ちるので、画面上の出来事だけで起伏を作らなければなりません。

2つ目は、Lord & Millerという監督コンビの作家性です。彼らの持ち味は『The Lego Movie』や『Spider-Verse』に見られる、テンポの良い軽妙さと暖かいユーモアです。これは後半のRockyパートには完璧に合うのですが、前半の組織の暗部や倫理的グレーな部分を描くには、向いていない資質かもしれません。結果として、本来なら重苦しいはずのEva Strattの強権性や乗組員選抜の非情さまで、どこか軽く処理されてしまっている印象を受けました。

3つ目は、Goslingのキャスティングです。彼はチャームと軽妙さを武器にする俳優で、不安や神経質さを持続させるタイプではありません。Goslingが画面にいる限り、観客はどこかで安心感を抱いてしまい、サバイバルの緊張感が持続しにくくなります。2時間36分の間、同じ「信頼できる主人公」が同じ「明るめの調子」で進んでいけば、一本調子に感じられるのは自然な帰結です。

フラッシュバック構造の再編

もう1つ気になったのは、フラッシュバックの使い方です。

原作では、物語はほぼ2つの時間軸が「ブロック単位」で交互に進む作りでした。Graceが記憶喪失から徐々に思い出していく建て付けで、現在の船内パートがしばらく続いた後、ある記憶の引き金を境に地球パートが長めに展開され、またしばらく船内に戻ります。記憶を取り戻す論理的な必然性があり、「思い出す」という行為自体はサスペンスの駆動装置になっていました。読者はGraceと同じタイミングで真実を知っていくのです。

特に重要なのは、地球パートの登場順序が記憶の回復の順序と連動していて、最も重い真実――Graceは志願者ではなく、他の候補者の死後に強制的に送られたという事実――が物語のかなり後半で明かされる構造になっていたことです。この明かされ方こそが、小説後半の倫理的な重みと、Graceという人物像の複雑さを決定づけていました。

映画版では、この構造がかなり再編されています。地球パートが従来の映画的フラッシュバックとして、より頻繁かつ短い単位で挿入される構成に組み替えられており、観客はかなり早い段階から地球側の経緯を把握してしまいます。

この変更は映画的には合理的な判断です。尺の制約の中で現在パートと過去パートをブロック単位で配置すると、観客は一方の時間軸へ入り込んだ頃、もう一方へ連れ戻されることになり、テンポが悪くなります。細かく交互に切るほうが、現代の観客の鑑賞習慣には合っているのでしょう。

しかし、この変更にも代償があります。

まず、記憶回復のサスペンス性が弱まります。原作では「Graceがなぜ船に乗っているのか」という謎が物語全体を引っ張る推進力でした。現在進行形で事態を理解していくGraceと、読者の知識が同期していたからこそ、謎が推進力として機能したのです。地球パートを早い段階から頻繁に見せてしまうと、観客はGraceより先に状況を把握してしまい、この推進力が失われます。

そして、先ほどの「一本調子」問題とも繋がってきます。地球パートと船内パートが短い単位で切り替わり続けると、それぞれのパートが持っていた独自のトーンが全体に混ざり合い、「軽妙な現在パート」と「重めの過去パート」の対比が曖昧になります。原作ではブロック単位で没入できたからこそ、それぞれのトーンが独立して体験できていたのです。

さらに言えば、Graceの倫理的な陰の部分、つまり「自ら志願したわけではない」という事実のインパクトも、フラッシュバックの細切れ化で拡散してしまった印象を受けます。あの重要な真実は、ある程度の分量のブロックとして提示されたからこそ観客の胸に刺さるもので、断片的に小出しにされると衝撃が薄まってしまいます。

音楽

本作で印象に残ったのは、なんといっても挿入歌の選曲でした。特にThe Beatlesの「Two Of Us」は、GraceとRockyのバディ関係にそのまま重なってきて、観終わったあともしばらく耳から離れませんでした。気に入ってしまったので、自分でも弾いて録ってみたバージョンを置いておきます。

Yostos · Two Of Us

作中で印象的に使われていた挿入歌を並べておきます。

  • The Beatles「Two Of Us」
  • Kris Kristofferson「Sunday Mornin' Comin' Down」
  • Miriam Makeba「Pata Pata」
  • Carlos Di Sarli y su Orquesta Típica「El Amanecer」
  • Neil Diamond「Stargazer」
  • Ike & Tina Turner「Glory, Glory」
  • Harry Styles「Sign of the Times」
  • Dennis Wilson「Rainbows」
  • Mercedes Sosa「Gracias a la vida」

まとめ

映画版『プロジェクト・ヘイルメアリー』の最大のパラドックスは、原作の二層構造こそが読後の満足感の源泉だったのに、映像化する過程で平準化されて、「均質に良質な感動作」になってしまった点にあります。作品としての完成度は高くても、原作を読んだ人ほど、あの前半の不安げな暗さが削られたことに物足りなさを感じる構造になっています。

個人的には、映画版は好意的に受け取りました。Goslingは相変わらず魅力的ですし、なによりRockyのパペット演技は特筆に値します。フルCGに頼らず、多くの場面でJames Ortizが操演と声の両方を担当した実在の造形物として画面にいるので、視線の動きやちょっとした間合いに手触りがあり、GraceとRockyが距離を詰めていく後半の友情シーンは、原作を読んだときの感触がそのまま立ち上がってきました。この存在感は、主演を食いかねないほどです。

それでも、読み終えた直後のあの「複雑な重さ」を映画で体験できると期待していた自分には、どこか物足りなさが残ったのも事実です。これは映画化の失敗というより、小説という形式が持っていた強度を、映像メディアに完全には移植できなかった、というだけの話なのかもしれません。『The Martian』の映画化が成功したのは、あの作品が最初から比較的一貫した「火星でのサバイバル」という単層構造だったからで、『プロジェクト・ヘイルメアリー』は原作の構造そのものが映像化に抗う性質を持っていた、ということなのでしょう。

原作を未読の方には、素直におすすめできる良質なSF映画です。原作を既に読んだ方には、一度読後の記憶を脇に置いて観るのがよいと思います。そして、観終わったあとでもう一度、原作のあの独特の二層構造を味わい直してみてはいかがでしょうか。


原作はこちら1

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